スワスタヴリッタ
Svastha Vṛtta / स्वस्थ वृत्त
Definition
健康な人が健康を保つための生活法全体を指す分野。1日・季節の過ごし方に加え、サドヴリッタやアーチャーラ・ラサーヤナといった行いと心のあり方までを含む。
この項目のポイント
- スワスタヴリッタは、健康な人が健康であり続けるための生活法をまとめた分野
- 土台にあるのは、食事・睡眠・節度ある性生活という三本柱(トラヨーパスタンバ)
- ディナチャリヤ(1日)、リトゥチャリヤ(季節)、サドヴリッタ(行い)などが含まれる
- くしゃみや便意などの自然な欲求を我慢しないこと(ヴェーガダーラナの戒め)も、健康を保つ基本とされる
- アーチャーラ・ラサーヤナは、日々の行いそのものを若返り法とみなす考え方
まだ不調ではないけれど、このままでいいか気になる方へ
どこかが悪いわけではない。
でも、毎日の過ごし方がこのままでいいのか、ふと気になる。
その感覚は、アーユルヴェーダが最も大切にしてきた問いと重なっています。
アーユルヴェーダには、具合が悪くなってからではなく、元気なうちに元気を保つための分野がまるごと用意されています。
それがスワスタヴリッタです。
スワスタヴリッタとは
スワスタヴリッタ(Svastha Vṛtta)は、健康な人が健康であり続けるための生活法をまとめた分野です。
スワスタは健康な人、ヴリッタは振る舞いや生き方を意味します。
健康な状態そのものを表す言葉としては、スワースティヤもあわせて知られています。
何が含まれるか
スワスタヴリッタには、土台となる柱と、時間の単位で整えるもの、行いや心の単位で整えるものがあります。
| 名前 | 単位 | 内容 |
|---|---|---|
| トラヨーパスタンバ | 土台 | 食事・睡眠・節度ある性生活の三本柱 |
| ディナチャリヤ | 1日 | 起きてから眠るまでの過ごし方 |
| リトゥチャリヤ | 季節 | 季節の移り変わりに合わせた過ごし方 |
| ヴェーガダーラナの戒め | 体の声 | 自然な欲求を我慢しないこと |
| サドヴリッタ | 行い | 日々の振る舞いと人との接し方 |
| アーチャーラ・ラサーヤナ | 行いと心 | 行いそのものを若返り法とみなす考え方 |
体の養生と心の養生が、同じ枠の中に並んでいるのが特徴です。
予防の医学と呼ばれる理由
チャラカ・サンヒターに示された、健康な人の健康を守ることを第一とする姿勢が、この分野に形として現れています。
スワスタヴリッタは、治療より前に置かれる領域です。
この分野が体系の中心に据えられていることが、アーユルヴェーダが予防の医学と呼ばれる理由でもあります。
トラヨーパスタンバ(三本柱)
トラヨーパスタンバ(Trayopastambha)は、生命を支える3つの柱を意味します。
トラヤは3つ、ウパスタンバは支えや柱のことです。
チャラカ・サンヒターは、この3つに正しく支えられた体は、力と色つやと充実を保ちながら寿命をまっとうすると説いています。
家が3本の柱で立っているように、どれか1本が傾けば全体がぐらつく、という比喩で語られることが多い考え方です。
サプリメントより先に見るもの
体調が気になると、何かを足したくなります。
ハーブやサプリメント、新しい施術。
けれど伝統的な順序では、まずこの3本が立っているかを確かめます。
食事にどれだけ気を配っても、睡眠が毎晩削られていれば、柱は1本欠けたままです。
足す前に、土台を見直す。
それがスワスタヴリッタ全体に通じる考え方です。
ブラフマチャリヤ(節度ある性生活)
ブラフマチャリヤ(Brahmacarya)は、三本柱の3本目にあたる言葉です。
禁欲と訳されることもありますが、アーユルヴェーダの文脈では、性生活を含む欲の使い方に節度を保つことを指します。
禁欲とだけ訳すと見落とすこと
インドの伝統的な人生の4つの段階では、最初の学びの時期がブラフマチャリヤと呼ばれます。
師のもとで学びに専念する若い時期の生き方を表す言葉でもあるのです。
一方アーユルヴェーダは、家庭を持って暮らす人の健康も扱う医学です。
そのため、ここで説かれるのは一律に断つことではなく、季節や体力、年齢に合わせて程よさを守ることです。
オージャスとの関係
アーユルヴェーダでは、体の組織(ダートゥ)は食べたものから順に養われ、その最も精妙なエッセンスがオージャスになると考えます。
過度な消耗は、このオージャスを減らすと考えられてきました。
節度は我慢のためではなく、活力の源をむだに使わないための工夫として説かれています。
ヨガの八支則でも、ヤマ(守るべき戒め)の一つとして挙げられています。
ヴェーガダーラナ(自然な欲求の我慢)
会議中だからとトイレを後回しにする。
人前だからとあくびを噛み殺す。
そのあと、なんとなく体が重くなる感覚に覚えがある方は多いはずです。
ヴェーガダーラナ(Vega Dhāraṇa)は、こうした自然な生理的欲求を我慢することを指す言葉です。
ヴェーガは衝動、ダーラナは押しとどめることを意味します。
我慢してはいけない13の衝動
チャラカ・サンヒターには、押しとどめるべきでない衝動として、次の13が挙げられています。
| 体の外へ出すもの | 体が求めるもの・反射 |
|---|---|
| 尿意、便意、精 | 空腹、渇き |
| おなら、げっぷ | 眠気、あくび |
| 吐き気、くしゃみ | 涙 |
| 運動後の荒い息 |
これらはヴァータ、とくに下方向へ出す働きを担うアパーナ・ヴァーユの動きにあたるとされます。
押しとどめると流れが逆向きになり、不調の原因(ニダーナ)になると説明されてきました。
老廃物(マラ)を出す流れが滞ることも、この文脈で語られます。
逆に、出ていないものを無理に出そうとするのも勧められていません。
抑えるべき衝動もある
一方で古典は、抑えるべき衝動もはっきり分けています。
欲深さ、怒り、恐れ、嫉妬、悪意といった心の衝動です。
体の声には素直に、心の荒れには手綱を。
この線引きが、スワスタヴリッタの中で体の養生と心の養生がつながっていることをよく表しています。
サドヴリッタ(良い行い)
サドヴリッタ(Sadvṛtta)は良い行いを意味し、日々の振る舞いや人との接し方についての指針を指します。
心の健康を守る作法、とも言いかえられます。
何が挙げられているか
古典には、次のような項目が並びます。
- 正直であること
- 感情に流されないこと
- 他者を傷つけないこと
- 清潔を保つこと
- 感謝すること
体の養生と同じ章に置かれているのが特徴で、心のあり方も健康の一部として扱われます。
マナス(心)を健やかに保つことが、体の養生と切り離されていないのです。
ヨガのヤマとニヤマとも、重なる内容が多く含まれます。
アーチャーラ・ラサーヤナ(行いの若返り法)
アーチャーラ・ラサーヤナ(Ācāra Rasāyana)は、ラサーヤナ(滋養・若返り法)のうち、ハーブでも食事でもなく、日々の行いそのものを指す分類です。
何が挙げられているか
古典には、次のような行いが並びます。
- 正直であること
- 怒りを持ち続けないこと
- 他者に穏やかであること
- 規則正しく生活すること
- 学び続けること
これらがオージャスを保ち、サットヴァを高めると説明されます。
体だけを整えても、心のあり方が乱れていれば健康は保てない。
この考え方が、アーユルヴェーダを単なる健康法ではなく、生き方の体系にしています。
サドヴリッタとアーチャーラ・ラサーヤナの関係
二つはよく似た項目を挙げていて、重なる考え方として読まれています。
| 名前 | 置かれている文脈 | 見ている方向 |
|---|---|---|
| サドヴリッタ | 健康を保つ生活法 | 日々の振る舞いの指針 |
| アーチャーラ・ラサーヤナ | 若返り法(ラサーヤナ) | 行いが心身を養うという見方 |
同じ行いを、守るための作法として見るか、養うための滋養として見るかの違いといえます。
日常の一手
特別なことを始めなくてもかまいません。
いつもより少し早く寝る、季節の食べものを選ぶ、誰かに一言ありがとうを伝える。
トイレやあくびを、我慢しすぎない。
そうした小さな行いの一つひとつが、すでにスワスタヴリッタの中に数えられています。
本項目は伝統的な考え方の紹介であり、医学的な診断・治療を目的とするものではありません。
FAQよくある質問
スワスタヴリッタとは何ですか?
健康な人が健康であり続けるための生活法をまとめた分野です。ディナチャリヤ、リトゥチャリヤ、サドヴリッタなどが含まれます。治療より前に置かれる領域で、アーユルヴェーダが予防の医学と呼ばれる理由でもあります。
三本柱のうち、どれから見直すとよいですか?
決まった順番はありません。古典は3本がそろって体を支えると説いているため、いま一番傾いている柱から手を入れるのが自然です。多くの人にとっては、削られがちな睡眠がその1本になりやすいといえます。
サドヴリッタとは何ですか?
良い行いを意味し、日々の振る舞いや人との接し方についての指針を指します。正直であること、感情に流されないこと、他者を傷つけないこと、清潔を保つこと、感謝することなどが古典に並びます。
あくびやくしゃみを人前で我慢するのもよくないのですか?
古典の立場では、自然な衝動を押しとどめることは勧められていません。とはいえ、場をわきまえる配慮まで否定しているわけではなく、我慢を習慣にしないこと、出せる場面では素直に出すことが大切だと読むのが現実的です。
なぜ健康の本に行いの話が出てくるのですか?
心のあり方も健康の一部として扱われるためです。体だけを整えても心のあり方が乱れていれば健康は保てない、という考え方が背景にあります。